縄文と日本中世神話の錬金術的世界



 山本ひろ子氏は『中世神話』(岩波新書593)で、中世に創造されていった「神話」を縦横にとりあげている。
 ここで引用されるのは他では読めないものばかりである。
 伊勢神道で秘記中の最極書の一にあげられたという『大和葛城宝山記』《やまとかつらぎほうざんき》から、度会家行によって『類聚神祇本源』に引かれた開闢神話は、



①十方から風が吹いてきて風同士がふれ合い、大水を湛えていた。水上に神聖が化生した。千の頭二千の手足があった。常住慈悲神王と名づけて、違細(=ヴィシュヌ)とする。この人神の臍の中から千葉金色の妙法蓮華が出現した。その光は非常に明るく、たくさんの太陽が一緒になって照らすようであった。花の中に人神がいて結跏趺坐していた。この人神はまた無量の光明を放っていた。名づけて梵天王という。この梵天王の心から八子が生まれた。その八子は、天地人民を生んだ。
②これを名づけて天神という。また天帝の祖神と称する。


 ①は仏典『雑譬喩経』のほぼそのままの引用であるが、しかし、②はオリジナルな内容だという。
 仏典の神話と日本の神話が接合されているところが興味深い。そして、仏教を借りて、「金色の妙法蓮華」「無量の光明」といったイメージを提出している点に目が行く。
 仏教は、世界性であり、最高の知の体系であったが、この頃には、すでに、本格的な知は神秘主義として内容を整えていた。仏教が、独自に成り立っていたのは当然であるが、同時にインド錬金術の最高峰でもあった。だから、仏教のイメージを借りて、「金色」「光明」を語るのは、錬金術的な意味合いを強調しているのである。
 これは錬金術的な黄金の光を日本の始源に定位しているのである。
 仏教の側からは叡山・黒谷流の学僧光宗編述による『渓嵐拾葉集』に、


問。わが国の大昔、大海の底に大日如来の印文があったというが、それはどんなものか。
答。これは神道の大事で究極の秘事である。むやみに口外しないように。
 さて、その大日如来の印文とは、「三輪の金光」のことである。天宮にいた国常立尊が天の矛を下ろして、大海の下に国はないだろうかと探ったところ、金の三輪に当たったという。この三輪は密教の「三部」をあらわしている。それゆえに大日の印文というのだ。




 大日如来の印文というのは胎蔵界の三部(仏部・蓮華部・金剛部)であったという。
 ここでもイメージは同じで「三輪の金光」が日本の始源にある。
 大日如来神話には、




①天地が開闢するより前、父母もいなかった昔、ひとり法性のみが存在した。
②第七代に国常立尊が理・智の二法を現わし、「金輪」となった。そこ金輪は破れて、赤と白の半輪となった。その半輪から「理の神」が生まれた。イザナギという。一方の半輪からは「智の神」が出現した。イザナミという。
③この二神は、天の八葉の橋の上から天の矛を指し下ろして、海原を探ったところ、「五角の島」となった。二神はこの島を治めようと誓い、日輪となって島を照らした。
④そのとき、島を戴いた。赤色で三面六臂の怒れる王が出現した。二神が「誰か」と問うと「わたしは金輪王である。無始より以来、ずっとこの金輪の宮に住んでいる」と答えた。「どうか、この島を我々に譲ってください」と二神が言うと、王は、「汝らにこの五智の剣を授け、島を譲ろう。この地で神の道を開き、仏法を広めるように」と語った。




 前半は、これまでの神話と同じく、シンボリックに金が登場する錬金術的な始源神話であるが、後半に先住神が現れ、島(国)を譲る先住神神話、国譲り神話となっている。
 ここまで見ると、中世神話が神話生成の部分に自らの起源神話を挿入しようとしている事がわかる。

 さて、ここで、「金輪」となる理・智の二法を現わす国常立尊であるが、葦牙から出現した根源神を、神道五書のひとつ『御鎮座伝記』は、これを天御中主神と呼びつつ、記紀とは別の神話を差し挟む。


「大海」の中にとある物が出現した。浮かんでいる姿は葦牙のようであった。そこから神人が化生し、「天御中主神」と名乗った。だからその地を「豊葦原中国」と号し、この神を「豊受大神」と言うのである。



 山本ひろ子氏は、

「記紀では、葦牙から出現した神は、ウマシアシカビヒコジ(『古事記』)、また国常立尊(『日本書紀』)であった。しかし、こちらでは天御中主神とし、出現の地は「豊葦原中国」で、しかも豊受大神としている」


 と記している。
 豊受大神は伊勢外宮の主神である。この神は記紀に記載のない神である。

 伊勢の内宮の主神は、天照大神である。これは、伊勢地方の太陽神であったものが、大和王権によって祀られるようになり、天武朝に天皇家の祖先神となったのだという。
 この国家神たる天照大神と、出自の定かならぬ外宮の豊受大神の差には、明らかなものがあった。

 伊勢神道は、別名度会神道とも言うが、これは、伊勢外宮の神主であった度会氏が発展させた神道思想だからである。伊勢神道とは、伊勢外宮の思想運動だったのである。
 この伊勢神道が、自らの主神である豊受大神を根源神として位置づけ、天照大神よりも上に置く議論を展開していく。
 ここで、そのほんの一部を引いて来たように、こうした動向が、伊勢神道に限るものではなく、様々な場所で、神話創造という形で発生したのである。
 中世神道とは、そのような思想的な反乱としての沸騰の相を持っていた。
 ところで、記紀に記載のない根源神であり、国譲りをする先住神ともつながり、重なる神がどのようなものであるのか、それが縄文であるのは明らかだろう。
 縄文の伝承が、仏教のイメージを借り、神道の装いをまとって、そのヴィジョンを展開したのである。
 そこに錬金術的なイメージがあった事は、縄文の高度さを物語るものである。



 ヨーロッパでは一四九二年三月三一日に、スペイン王、フェルナンドとイサベルがユダヤ人追放令を発した。レコンキスタによって勢力を得たカトリックが、イスラム派であったユダヤ人をスペインから追放したのである。
 スペインから押し出された中で、ヨーロッパ各地に散ったユダヤ人たちがもたらしたユダヤ教カバラが、キリスト教に入ってキリスト教カバラを生み出し、ヘルメス主義と混交してルネサンスの下地を作った。
 ヘルメス主義カバラ、つまり、カトリック教会によって異端視されたために、命を守るために別の姿をまとわねばならなかった高度な知と技術の体系が錬金術であり、神秘主義であった。
 日本においては、高度な知の体系は仏教であり、仏教は、インド錬金術の流れと深く結びついていた。中世神話は、最高水準の知の運動だったのである。

 そこで、縄文の神が、錬金術的なイメージで招聘されるのである。縄文は、まさに錬金術的な黄金として強烈な光を放つのである。
 この縄文錬金術とでも言うべき知をもって、内宮の国家神・天照大神に挑みかかった外宮の渡会氏は、南朝方として名高い北畠親房《きたばたけちかふさ》と親交が深かったという。
 はたして、縄文錬金術は、北畠親房を通じて南朝と縁を結んだのだろうか。