2011年

7月

23日

現実逃避としてのエネルギー転換

 サンデルの『白熱講義』は多くを死なせるか、より少数を死なせるか、ふたつにひとつしか選択肢がない場合の葛藤に身を置かせ、倫理に向きあわせる事から始まる。

 今、福島原発で事故に向き合い、対処している人たちは、死地に送られている。政府は、彼らの身体、生命をもって国家の安全を贖おうとしているのである。もちろん、これまでも現場で冷却作業にあたった人々も同じく死地に送られた人々である。

 私たちは、この危機の断崖絶壁を、彼らの身体生命を橋として、彼らの背中を踏み、彼らの上を歩く事で、渡らねばならない。彼らの捨て身の健闘によって助けられているし、助けられようとしているのである。

 私たちは彼らに感謝し、能う限りの支援を行い、少しでも報いるすべを模索すべきだろう。

 ともかく今は、福島の原子力発電所を沈静化させ、事故を終わらせる事に全力を投じる時だ。

 

 酪農家への通達はしたが、稲わらを出荷している農家への通達を忘れ、牛に放射性物質のついたエサを食べさせてしまうといったたるんだ失敗で仕事を増やし、対策の足を引っ張っている場合ではない。

 いや、その前に、エネルギー転換の話などして、時間と労力をムダにしている時ではない。将来の話にうつつを抜かしている場合ではないのだ。

 もしかしたら、現実を直視する気力、知力、思考力がなくて逃避しているのかもしれないが、ここを掘り下げてしまうと、カトリックの異端審問や共産主義国家秘密警察の思想監視と同じになってしまうのでやめておこう。

 心理的にはどうだかわからないが、今、エネルギー転換を議論するのは逃避でしかない。エネルギー転換の議論は、福島を落ち着かせた後にすべきだ。現時点 では、福島がエネルギーよりも優先順位が高いままだからだ。また、将来のためにはエネルギーという大戦略を、このドタバタの中で決定してはならない。

 今、エネルギー転換を言いつのる人々の中に、狂信的な環境論者がまぎれている。この狂信者たちは、深刻きわまりない原子力発電所事故にほくそ笑み、小躍りし、危機につけこもうとしている。

 エネルギー転換をし、原子力発電をやめるならやめるでいい。だが、いくら真剣な議論であっても、今、そのために限りあるリソースを割くべきではない。