ジュダイズムのジニオロジー

(Judaism Genealogy)

 

 プラトン哲学はユダヤ教の剽窃だったそうだが、それでもプラトンは反ユダヤだった。プラトンだけでなく、ギリシア文明は反ユダヤだった。
 キリスト教はギリシア化したユダヤ教の異端だったが、ギリシア化のおかげでローマで認められる事となった。ローマにはユダヤ人社会もあったが、ギリシアの影響が大きかったのである。キリスト教は他の宗教を襲撃したり、揉め事ばかり起こしてローマで反感を買っていたのだから、ギリシアの影響なしには存続すら危ういところだったのである。
 ギリシアとローマはキリスト教(世界)に対して独特な位置を占めている。
 ローマとキリスト教と言えば、カトリックの成立がある。元々一つだったキリスト教だが、ローマ教区が自分たちはローマであるから他の教区より上だと主張し、結局分離独立してしまった。この時、ローマ教区はカトリック(普遍)を自称し、他の教区はオーソドクス(正統)と言うようになった。
 カトリックはローマ帝国の勢力範囲に君臨し、これを支配した。ヨーロッパ中世である。これが「世界」である。
 中世にカトリックの中から新プラトン主義として神秘主義が現れるが、これはユダヤ教神秘主義の影響を受けていた。プラトンとユダヤ教の関係を見れば、このような形で新プラトン主義が出て来るのも不思議ではない。人文主義はこの系譜から誕生する。なぜ人が強調されるのかと言うと、教会は神だけを主題にしていたからである。例えば「愛」は神と自分の関係の話であって、人と人との関係に持ち込まれるのは大げさな事であり、神学的には人と人の愛に価値はない。そこで人文主義(ヒューマニズム)が登場するのである。ただし、このヒューマニズムは人道主義のヒューマニズムとは違う。ミシェル・フーコーが『言葉と物』でその終焉を宣告したのは、この人文主義のヒューマンである。
 ユダヤ教はキリスト教に影響を与える一方、もう一つの大きな異端を生み出す。イスラムである。
 あの時代にわざわざユダヤ教徒だったのだから、マホメットもユダヤ人だった可能性があるが、確かめようがないので可能性を述べるにとどめる。
 時に弾圧する事もあったが、概ねイスラムはキリスト教よりもユダヤ人に寛容だったようだ。十字軍戦争でカトリック軍と最も戦闘的に戦ったのは、ユダヤ教徒やカトリックに異端とされたキリスト教徒だったと言われる。
 カトリックとイスラムの争いの原因は宗教的なものではなく税金だった。中世ヨーロッパ世界で課税の権限を持っていたのはカトリック教会だったが、法外な通行税を課したのである。貿易をしていたイスラムは、これでは商売にならないと怒った。正教もイスラムの味方についた。カトリックは後退を余儀なくされた。それでも、十字軍戦争はその後退を押し返すために行われたのではない。実は戦争の理由は今に至るも不明なのである。
 テンプル騎士団修道会やマルタ騎士団修道会(ホスピタル騎士団修道会がロードス騎士団と呼ばれるようになり、それからマルタ騎士団となった)は十字軍戦争に従軍した騎士団の中でも有名である。
 テンプル騎士団はユダヤ人の金融ノウハウを身につけ、十字軍の資金移動を一手に引き受けた。この活動がヨーロッパの銀行システムの始まりとされている。ユダヤ人自身が銀行業に大きく携われるようになるのは、はるかに後の時代である。
 テンプル騎士団はリベリア半島におけるレコンキスタ戦争にも従軍した。この時、独自にポルトガルを建国する。
 レコンキスタはカトリック教会の戦争だった。その結果として宗教国家スペイン、ポルトガルが生まれたのだが、テンプル騎士団が独自にひとつの国を作る事を教会が許したというのは、テンプル騎士団の勢力の大きさを物語っている。
 レコンキスタでカトリック勢力によって追われる事となったのはイスラムばかりではなかった。イスラム支配下のリベリア半島にはいくつものユダヤ人コミュニティーが存在した。これが追放されたのである。改宗を迫られ、キリスト教徒となったユダヤ人もいたが、多くのユダヤ人が各地に散って行った。この中で、ヨーロッパに散ったユダヤ人たちの知識がルネサンスをもたらす事になる。
 テンプル騎士団は、勢力拡大を狙うフランスにとって邪魔な存在だったようだ。フランス王フィリップ四世と、フィリップ四世の力で教皇となったクレメンス五世によってテンプル騎士団は異端の罪で壊滅される。もっともポルトガルのテンプル騎士団はキリスト騎士団と名称を変えただけで存続する。
 テンプル騎士団弾圧の一三〇七年の翌年の一三〇八年、教皇クレメンス五世は教皇庁をローマからフランス領内のアヴィニョンに移転する。教皇庁がローマに戻ったのは七十年後である。この時代は「アヴィニョン捕囚」と呼ばれる。
 フィリップ四世は、自らが教皇の上の存在となり、教会を支配する事でヨーロッパを支配しようとした。そのために大勢力だったテンプル騎士団が邪魔だったのではないだろうか。
 だが、教会内の反フランス派はテンプル騎士団を守ったのかもしれない。
 テンプル騎士団の容疑は偶像崇拝、つまり悪魔信仰だったが、バフォメットを信仰したというのも容疑に入っていた。
 バフォメットというのはマホメットの事ではないのかと言われているが、イスラムに改宗していたかどうかは別にして、テンプル騎士団がイスラムと気脈を通じていたのは確かだと考えられる。それはマルタ騎士団なども同じで、捕虜交換など、戦争をするためには、話し合いが出来なければならないからだった。ロードス島に拠点を持ち、ロードス騎士団と名乗っていた頃のマルタ騎士団がイスラムに敗北し島を去る時、イスラムは武装を許し、騎士団は武器を持ったまま撤退した。武士の情けである。後に、ナポレオンがマルタ騎士団を撃破した時には容赦なく武装解除を行った。キリスト教徒というか、フリーメーソンというか、情けは通用しなかった。ともかく、マルタ騎士団はイスラムとツーカーだった。
 銀行のノウハウをユダヤ人から習得したテンプル騎士団が、ユダヤ人に寛容だったイスラムとつながっていたとしても不思議ではない。テンプル騎士団由来とされる不思議な品々や技術、知識も、ユダヤやイスラムを考えれば理解できる。
 テンプル騎士団が異端かどうかは、異端の定義によって異なるが、その定義がその時々の情勢によって違う。このあたりがカトリックの融通無碍なところではある。マルタ騎士団とテンプル騎士団の違いがどれほどのものだったかもよくわからない。ただ、異端とされたから異端だという事のようだ。
 テンプル騎士団の破門より前に、南仏アルビジョアでカタリ派が異端とされ、十字軍の派遣でトリートメントされた。
 似たような動きでも捨て置かれた場合もあるらしいから、こうした基準はよくわからない。
 異端摘発で活躍したのがドミニコ会だった。一時期は異端の有名人たちを輩出した修道会だったが、そのためにかえって異端審問に先鋭化したのかもしれない。
 中世の教会は信仰、つまり心の中まで支配した。後の共産主義の全体主義の原点は異端審問にあると言えるだろう。
 教皇は売春宿に入り浸る者がいたり、人妻を愛人にして子供を作る者がいたり、魔術を習得していた者がいたりという乱脈だったのだが、問題とされなかった。異端の問題は教会権力の都合次第だったのである。
 テンプル騎士団が船でスコットランドに逃げ、フリーメーソンの元祖となったという話がある。スコットランドとイングランドの関係も一筋縄ではいかないが、まあ、ここは大まかに英国とポルトガルが戦争をした事がないなど、両国の関係も考えるとありえない話ではない気もして来る。宗教戦争で英国がカトリック教会と戦い抜いたのもここに遠因があるのかもしれない。
 フランス革命の背後では、フリーメーソンが大活躍したが、国王が断頭台に消えたのにもテンプル騎士団の恨みがあったかもしれない。
 教会は世界を子午線で分割し、一方をスペインに、一方をポルトガルに与えた。そして、ポルトガルは英国にその世界を売る。英国が大帝国として世界に君臨したのは、このような宗教的裏付けがあっての事だった。
 プロテスタントはルネサンスの中から誕生する。実はここにも税金が絡んでいて、英国がカトリック教会への税の上納を拒否し、自国の税は自国のものだと主張したのである。これは徴税権を国家が教会から奪った事になる。こうして、国家の教会=世界からの分離が始まる。
 英国の場合は儀式などカトリックと同じで神学的な要素はなかった。しかし、他国ではルターなど神学的な問題をカトリックに突きつけてのプロテストが現れる。教会はルターを、ルターは教皇を、互いに悪魔と罵る。これで血が流れないはずがない。こうしてヨーロッパは血で血を洗う宗教戦争に突入して行く。
 プロテスタントの後ろ盾はビクトリア朝の英国だった。
 ビクトリア女王の側近にジョン・ディーがいた。彼はユダヤ人で女王の占星術師だった。博識の知識人、思想家だった。女王亡き後の晩年は不遇だったようだが、一時は大きな影響力を持った。
 フランシス・イエイツによれば薔薇十字団は思想的にジョン・ディー主義であるという。また、イエイツは薔薇十字団の実体が英国ガーター騎士団だったと推定している。
 ジョン・ディーはパラケルススを崇拝していたという。パラケルススもユダヤ人で、医者、そして錬金術師であった。パラケルススや患者の星めぐりもわからずに治療などできないと言っていた人で、ディーも占星術に限らず、錬金術=魔術全般に通じていたと考えられる。もちろん、これは当時としては科学者であったと言っているのと同じである。

 当時は占いと天文学、そして数学をまとめて占星術と呼んだ。ルターは占星術を否定し、カルヴァンは今ならば天文学とされる占星術は肯定していた。プロテスタント側はそんな感じだったが、カトリック教会の多くは星占いに熱中していた。

 カトリックはルターのホロスコープを作り、悪魔の証拠としたり、呪詛したらしい。
 薔薇十字団というと、ドイツと英国に縁が深いのは、パラケルススとジョン・ディーの存在があったからかもしれない。
 英国薔薇十字の他にも、ヨーロッパにジョン・ディーを崇拝するコミュニティーがあったともいう。ユダヤ・コミュニティーだと思われるが、プロテスタントかもしれない。こうしたコミュティーはいくつもあり、宗教戦争後、新世界アメリカに渡った集団も多いから、薔薇十字とは別にジョン・ディーを信奉する集団がアメリカに行った可能性もある。アメリカでは、こうして移住した宗教集団が作った町がその集団とともに発展し、地方政治を中心に力を持っているという。
 薔薇十字団はヨーロッパ大陸において戦われた宗教戦争の背後で活動していたようだ。
 少し詳しく見てみよう。
 ネーデルラント(オランダ)のスペインからの独立戦争は、同時にカトリックとプロテスタントの戦いでもあった。
 この戦いは凄惨なものだった。一五七二年の聖パルテルミーの虐殺では、パリに集まったプロテスタントだけで四千人、フランス全土で二万人が殺害された。
 こうした事態は一例にとどまるものではなかった。そのためプロテスタントのカルヴァンは布教にあたって各国に地下組織を作らねばならなかった。
 ネーデルラント独立戦争は一五六八年から一六四八年まで続き、八〇年戦争とも呼ばれたが、その中で一六〇九年に十二年協定が結ばれ、ひとときの休戦が訪れた。この時にネーデルランド北部七州が独立し、ユレヒト同盟を結成した。
 女王エリザベス一世治世の英国は戦争に介入し、プロテスタントの後ろ盾となった。その背景にはカトリック教会との対立、ハプスブルグ家のスペインとの確執、英国のヨーロッパ戦略もあった。強力極まりないハプスブルグ家を牽制し、プロテスタントがカトリック勢力に対抗するのに英国の支援は欠かせなかった。
 英国におけるルネサンス時代であったエリザベス朝にあって、ジョン・ディーは占星術で戦争を始める日時、方角を決めていた。
 休戦の間に英国はジェームス一世の治世となっていた。ジェームズ一世は、プロテスタント支援に熱心ではなかった。
 十二年休戦協定の終了期限が迫る三〇年戦争前夜、英国がプロテスタントの後ろ盾ではなくなるかもしれなかったのである。
 こうしてエリザベス一世の統治を理想とする英国ルネサンス派が、独自にプロテスタントを支援するために結集した。
 彼らはガーター騎士団であったが、この集まりは薔薇十字と命名されたというのである。薔薇十字はガーター勲章の事であった。
 ガーター騎士団は、カトリックの修道騎士団に対して英国王を頂点として結成された、国家主義騎士団であった。これがジョン・ディー主義であるのは当然だったろう。
 カトリックは教会を至上とし、国家を否定した。カトリックは世界主義だったのである。それに対してプロテスタントは教会のくびきを断ち切るため、国家を必要とした。
 ヨーロッパ人は、長い間、教会の籍なしには社会に受け入れられず、生きて行けなかった。だが、国権の強化により、国籍があれば生きられるようになった事で、人々は教会から自由になれたのである。
 カトリックとプロテスタントの対立は、世界主義対国家主義の対立でもあった。
 当時の戦争には、軍事だけでなく霊性も動員された。とりわけ、カトリック対プロテスタントの戦いであってみれば、両派とも魔術を動員し、秘術を駆使したに相違ない。
 三〇年戦争前夜、突如として薔薇十字パンフレットがヨーロッパ中に配布され、パラケルスス派の医者たちを中心に、薔薇十字運動と呼ばれる熱狂を引き起こした。これもまた、魔術戦の一環であったと思われる。
 選定侯フリードリヒ五世のファルツの居城ハイデルベルクには、当時の機械錬金術の粋が結集されたという。イエイツはここに薔薇十字の覚醒を見た。ハイデルベルク城は対カトリック戦争の最前線であると同時に、薔薇十字魔術の前線でもあったのである。
 三〇年戦争において、強力極まりないハプスブルグ家のスペインは、終始、プロテスタントを圧倒し、有利に戦争を展開した。だが、プロテスタントは戦い抜いた。そして、ウェストファリア条約によって、オランダは完全独立を遂げたのである。
 戦後も暗闘は続いた。
 英国内では、カトリック派の殲滅のために、フリーメーソン内で粛清が行われたと、イエイツ女史が書いている。その結果として英グランド・ロッジが創設されたという。
 ジェームス一世の息子、チャールズ一世は、清教徒革命によって、断頭台の露と消えたが、革命指導者オリバー・クロムウェルは、エリザベス崇拝者であった。
 チャールズ二世は王政復古を果たし、カトリック色を鮮明にした。しかし、これも名誉革命によって排除された(パリで死んだダイアナ妃は、この王の血統)。
 こうした動向の背後に薔薇十字団が介在していても不思議ではない。彼ら英国の中枢にいる。国王に敵対し、その政策を挫折させる力はあるのだ。そして、王そのものを退ける力も持っているのである。
 プロテスタントに、また、錬金術や神秘主義にユダヤ教の影響があったとしても不思議ではない。
 そして、このユダヤ教の影響が次にフランス革命と結びついて行く。フリーメーソンである。フリーメーソンの成立がどうあれ、フランス革命を担った人物たちの多くは、フリーメーソンやイルミナティなどの影響下にあった。啓蒙思想がユダヤ教から出ている。
 フランス革命派は思想的にアナーキズムだった。アナーキズムも、ユダヤ教起源の異端的信仰であったと、ここでは考える。
 ユダヤ人革命家たちの秘密結社ブントの依頼で『共産党宣言』を代筆したマルクスもユダヤ嫌いのユダヤ人だった。
 マルクス主義も、やはりユダヤ教起源の異端信仰だった。
 革命運動の中で主流であり続けたのはアナーキズムで、マルクス主義は傍流の少数派だった。
 ロシア革命は、フランス系の革命派、つまり、大東社と呼ばれるフランス・フリーメーソンが支援したアナーキストの革命だった。
 名前だけ「多数派(ボルシェビキ)」を名乗ったレーニン一派は、スターリンを使って列車強盗など犯罪による資金作りをするだけの集団だった。マルクス主義グループらしい少数派だった。
 レーニンは、ロシア革命勃発と同時に反対声明を出して封印列車の人となった。車中、ドイツと話をつけて資金援助をとりつけ、サンクトペテルブルクに到着すると金にあかせて人を集め、武器を買い、アナーキストの革命派に襲いかかった。

 レーニンは、日露戦争の時には日本から金を受け取り、第一次大戦下に勃発したロシア革命ではドイツから金をもらった。その時点では日本もドイツもロシアの敵国である。レーニンは売国によって資金を得る男だった。

 ドイツは第一次大戦以前からロシアに移民を送り出していた。このドイツ人たちがレーニンを支援した可能性もある。もしかしたら、ドイツ軍が秘密裏に動いたかもしれない。

 こうして革命を簒奪したレーニン派によって、マルクス主義は一躍革命思想の主流に踊り出る。

 革命騒ぎの蛮行、ソビエト・ロシアの侵略と全体主義のせいであまりにも多くの破壊が行われ、人命が失われたが、革命信仰に曇った目はレーニンを、ロシア革命を美化し続けて来た。マルクス主義は人類に対する罪、不実を免罪する護符ではなく、失敗した無残な信仰でしかない。
 ケレンスキーを打倒されたフランス・アナーキズムは、次にスペインで、再びマルクス主義による背後からの攻撃で敗北する。
 この時勝利したのはフランコ派だったが、ロシア・マルクス主義派は金塊を手に悠々と撤退した。
 スペイン内戦で、フランコ派も、アナーキストも、マルクス主義者も、敵とみなした非戦闘員のスペイン人を大量に殺した。どこのグループが正義だったなどとはとても考えられない。ハリウッド映画はロマンチックに描いたが、ただの戦争だった。そして、結果として、フランコ派が勝利しなければ、スペインにキリング・フィールドが出現しただろう事は想像できる。
 スペイン内戦ではナチス・ドイツがフランコを支援したが、マルクス派はドイツとの関係で人民戦線を破壊したのかもしれない。第二次大戦でドイツが敗れた時、ナチスの残党の逃亡ルートはバチカンかロシアだった。
 フランスはヴィシーとド・ゴールで二股をかけていたが、ドイツのナチスもちゃんと逃げ道をこしらえていた。そして、EU議会はヨーロッパ右翼の巣となる。

 ユダヤ教は、プラトン哲学、キリスト教、イスラム教、神秘主義、アナーキズム、マルクス主義といった信仰のすべての基となった。これに科学を加えてもいい。
 これがユダヤ教の系譜の概観である。