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2016年

9月

21日

見えなければ・・・ない!

 二重国籍のまま、蓮舫はミンシンの代表になってしまった。

 代表選の間、そんな問題なかったかのように振る舞う事で話がついたのだろうか? 何だかいかがわしい。

 代表選は所詮内々の話でしかない。国籍の問題は国法にかかわる事だ。結果から見れば、内々優先で国法は後回しとなった。おやおや。

 でも、ないかのように振る舞う事で、つまり、見ない事で問題がなくなるわけではない。しかし、民主党時代から、彼らには見なければないという傾向がある。

 防衛問題でも、支那や北朝鮮という軍事的脅威などないかのようにふるまい、より良い代案を示すわけでもなく、安全保障を推進するどころか足を引っ張る事で代案とする態度を取り続けている。

 ミンシンの人々に見えようが見えなかろうが、あるものはある。見えないのは視野が狭いか、見ようとしないからだ。

 でも、ミンシンが駄目なのは周知の事で、いまさら、わざわざ持ち出すような話ではない気もする。

 彼らの向上を願っているわけではないし、転落しようとどうなろうとどうでもいい。いると時々呆れるが、いなくなっても嬉しいというわけでもない。

 健全な野党がどうのという話をする人がいるが、ミンシンを材料にして話しても意味はない。

 健全な野党が出来るとしたら、安倍さんが自民党に心底嫌気がさし、親しい同志と語らって神戸自民党を作るとか、そういう事ででもなければ二大政党になどならない。小池百合子がそこに合流してもいいね。

 

2016年

9月

11日

二番もあんまり良くなかったけど

 蓮舫、今度は

 

二重じゃいけないんですか

 

 なんて開き直ったりして・・・

 

2016年

9月

08日

たまに芸能界を見る・・・そして、テレビがつまらない

 芸能界に詳しくないし、ほとんどの芸能人を知らない。特に今人気のある人を知らない。つまり興味がないのだけれど、このところ大量に扱われたので少し知ってしまう話題がいくつかあった。

 ひとつはSMAPの解散話で、次はベッキーのゲス不倫騒動、それから高島礼子の夫の覚せい剤事件、そして、高畑淳子の息子の強姦事件だ。どれも、前から名前を知っていた芸能人にまつわる話題だった事で印象に残った。

 

 高島礼子は冷静に事態に対処し、真剣な姿勢で問題に取り組んでいた。まず、この点が素晴らしかった。女優が「尿検査」をしたとまで公表したのも、偉いと思わされた。高島礼子という人は、とてもちゃんとした女性だと、感心させられた。

 

 ベッキーは、タカをくくっていたのだろうか、ラインで「センテンス・スプリング」とかやってたのがバレて墜落し、何となく立ち直れないでいる。

 女房持ちの男とデキちゃっただけの、よくある話が、ここまで尾を引いてるのは、徹底的に対応がマズかったからだ。

 ゲスと不倫してるのがバレた時点で、ベッキーはそれまでのイメージを捨てるしかなかった。もう清潔ではなくなった。だから、正直に女として出てきて、「女房がいようがいまいが、あの男が好きなんです」とでも言えば良かった。今度は、そういうイメージで行くしかないんだから。

 でも、清楚清潔イメージですでに決まっている仕事もあったし、これからも、今まで通り、それを売りにやって行きたい。そういう営業戦略が前面に出た記者会見をやり、しかも、その直後に「センテンス・スプリング」だなんて・・・

 これは半分以上事務所が悪い。あんたが気持ち良くつきあってる男の向こうには、泣いている女房がいるんだから、そこを考えて記者会見をしなさいと指導してやる事が必要だった。それに、もう清楚清潔ではない事を踏まえていなくてはならなかった。

 だが、後からやった記者会見の時に、白い服を着ているのを見て、本人も事務所もわかっていない事が見えた。

 落ち着いた服装は当然だが、もう白を印象づけてもダメなんだと思う。

 前と同じ位置で仕事を再開したいのだろうけれど、それは不可能だ。イメージがあるだけなんだから、そのイメージが変わったら、別モノになっていかなければならない。そういう転換を考える事を戦略というのであって、目先を誤魔化す事は小手先の小細工としかいわない。

 ベッキーのファンではなかったけれども、消えてなくなれと思っているわけでもない。ただ、見ていて、ダメさが目について、おやおやと思った。

 最初の会見の時、「奥さんがいるのもわかってるんです。でも止められないんです」と天城越え路線で出るか、「冷静さを失っていました。奥様に申し訳ない事をしました」としおらしく引くか、どちらかしかなかったはずだ。どちらを選ぶかは、本心がどうかという事だけで決めるべきだった。営業だとか、仕事だとか、そういうのは後の話で、お詫び行脚でも何でもするしかなかった。

 でも、表面的な綺麗事でやり過ごそうとした上に、スプリングにラインをバラされて墜落した。

 嘘って、ダメなんだよな。

 

 高畑淳子は、母親としては正直で、まったく間違っていない。何があっても、否応なく、息子は息子なんだという事は、事実として、また、それを引き受けるという覚悟として、文句のつけようがない。

 でも、加害者側の人間として、被害者に対する姿勢としては、何考えてるんだろうと疑問に感じるところがある。おそらく、同じ所で疑問を持つ人が一定にいるので、高畑淳子に対する批判が出て来ているのだろう。

 もうひとつ、事件に関して、高畑親子とは直接関係がないが、普通、弁護士とも近親者とも面会など出来ない段階で面会しているように思える。有名人という事で特別扱いがあるとしたら問題だ。おそらく芸能記者は、そんな事を知らないのだろうし、新聞記者たちも興味がないだろうが、何か妙な感じを受けないでもない。

 

 SMAPの解散は、日本の下位文化にとって大きな出来事だと思う。ファンであるかどうかとは関係なく、その存在が前提となっているグループだった。

 女性がSMAPの誰それのファンだというと、他の女性から、ああ、この人はそういう趣味の人かと、何かを現した事になる。それが、日本全国、どこででも成り立つ感じがあった。

 野球で言えば、巨人がなくなってしまう事に匹敵するというと、近似的に感じが伝わるだろうか。阪神ファンであっても、巨人の存在はあたりまえで、その上で成立するものが沢山ある。そんな感じだ。

 だからグループとしての実体などなくなってしまっていたとしても、解散しないでいた方が、みんなのためにはなった。

 そういう位置は、望んで手にするものではない。なりたくてなれるものじゃない。ただなってしまったものだ。だから、本人たちの自覚はないだろうし、周囲もどれだけ意識していたかわからない。おそらく、誰もわかっていなかったと思う。一番わかっていたのはファンかもしれない。

 そういうのって、おそらくSMAPのメンバーが一番、辛く、キツい場所だろうと思う。外の人間は、羨望の念を抱くだけだろうけれど、当人たちは、ひたすら辛いとだけ感じ続けて来たかもしれない。

 ナベプロのクレージーキャッツのようになるとか、音楽の世界だと、毎年夏にやって来て、夏に自分の家にいた事ないなと思いながら、ホテルの部屋で枝豆とビールに手を伸ばすベンチャーズのようになっても良かった。

 願わくばそのようにあってくれる事を願ったファンも多いと思う。

 個人的には、SMAPについては、あんなに長く人気を維持して、空前絶後の存在だなというのが一番強い気持ちだった。

 ところで、SMAP解散騒ぎで、テレビって一体何? テレビ作ってるヤツらって、クソ! と思った人も多いと思う。メンバーのラジオ放送で何を言ったと、放送を聞いてたらわかる事を繰り返すのって、それ何?

 スポーツ新聞は、昨日の試合を伝える、最初から昨日の新聞である事を自らの定義に含んでいるもので、それはそれで驚くべきだが、新しい情報、ホットな話題を売り物にしているはずのテレビが、そのスポーツ紙の紙面をならべて、ああだこうだ、内容のない話を延々とやるって、もう自殺だ。

 テレビって、今やってる事で視聴率なんてとれるわけないね。つまんないもんね

 

 

 

2016年

9月

07日

ミンシンって、やっぱヤだな

 蓮舫の二重国籍疑惑問題、外から蓮舫や民進党が批判されるのはしかたがないし、当然だろう。民主党/民進党はそんな事もクリアしてなかったユルさを恥じるべきだ。

 だけれども、それはそれとして、民進党の代表選を蓮舫と争っている他の候補者の陣営から「ウソを重ねているように映る蓮舫氏に代表の資格はない」(玉木雄一郎国対副委員長の陣営幹部)、「きちんと説明すべきだ」(前原誠司元外相の陣営幹部)という発言が出ているらしいのにもあきれる。

 代表選に勝ちたいからって、そこに乗るなよと思う。セコい。小さい。コスい。ここは、かばうべき場面だと考えられないなら、自分さえ良ければいい人間で、信頼できないし、政治家としての判断力、見識に問題があると見なすしかない。

 まあ、民進党なんてロクな連中じゃないから、この程度だとは思っていたけれど、本当に格好のつけ方も知らないんだな。

 蓮舫もふくめて、つまらない先生たちで、オソマツの見本もいいところ。民進党って、最低だね。

 

 

 

 

 

 

 

2016年

9月

06日

遠い散髪

 ふと、友達のやっているパーマ屋・・・今は、違う名前で何とか言うんだ・・・に散髪に行こうと思い立った。

 しかし、暑い日が続いたり、天気が悪かったり、そうこうしているうちにふた月以上経ってしまった。グズだ。

 どうせ坊主頭なんだからどこでやってもらっても変わりはないと思うのだが、決めたんだから行こうという気持ちがある。

 困った事に、髪の毛は伸びっぱなしなので、ある人に「長髪」と言われてしまった。自分でもそう感じる。

 せっかくだから、少しは髪があった方が散髪する方もやりがいがあるのではなどと、いつもより長くなってから行くつもりでいたのが裏目に出た。

 

 今、ライザップの使用前見本の人にそっくりで、無精丸出しに髪が伸びた自分を鏡で見ておやおやと思う。

 体型はダイエットをやめてから典型的なリバウンド型になっている。

 

 少し何とかしようか・・・・

 

2016年

8月

30日

行列と数列、それにベクター(ベクトル)

 ベクトルは、1行だけの行列で、数列は規則性を持って数が並んでいる。数列は英語で sequence だけれど、等差数列は arithmetical progression となるらしい。

 ちなみに、ベクトルは vector、行列は matrix です。

(昔、ちなんでもいないのに、接続詞の一種だと思って、やたらと「ちなみに」と入れたがる人がいたのを思い出した。ああ、やたらと何でも覚えているのも考えものだ)

 

 行列は規則性がなくてもいいけれど、数列は規則性があると定義されている。これは数ⅡBの教科書に書いてある事で、一番最初にやる事だ。

 数列も行列の一種で、規則性を持った行列だと考える事も出来るけれど、そんな回りくどい考え方をしても無意味だ。そこは考える所ではない。だって、行列は規則性のない数列だなどと考えたりしたら定義の意味がなくなる。区別は必要だからあるんで、それがわからないと考える事そのものが出来ない。感じる事と考える事の間には差異がある。

 つまり、行列と数列を一緒くたにしてはいけない。

 

 

 

2016年

8月

28日

涼しくなって、楽の2

 ひどく暑い間は虫も出て来ない。秋になり始めると出て来るのだ。

 蚊柱なんてのも残暑の頃から立ち始めるけれど、浅草から隅田川を渡ったあたり、本所などでは冬でも蚊柱が立ったなんて言われる。

 浅草をエンコというのは、浅草と言えば六区、六区は公園六区で、露天商の符丁で公園をひっくり返せば「エンコ」になるって話だから近代になってからの言い方になる。

「唐獅子牡丹」という歌に出てくる「幼なじみの観音様」は浅草寺の観音様で、界隈で生まれ育った者が倶利伽羅紋々を背負ってしまったという歌である。

 親からもらった体に悪戯して刺青を入れるような不孝者の幼なじみをやってる観音様の懐の深さは、浅草という町の、何でも受け入れてくれるところに見合っている。何でもだから、嘘と本当が隣り合わせで、つまり自由にやってる。

 こないだ浅草で道を教えた支那人はやたらとタトゥー入れてたが、浅草なら問題ない。

 

 台風の風が収まって、区役所が町中にDDTを散布する頃、それでもボウフラのわく水たまりがあって、沢山の蚊が飛んでいた。東京とは言っても足立区の川沿いの町の昭和三〇年代、まだ犬殺しが野良犬を狩っていた時代だった。

 

 北区の中里では、町が進歩的な政策でDDTの空中散布を敢行したのは後から知った。

 

 

2016年

8月

28日

少し涼しくなって、楽

 嵐の前の涼しさで気温がぐっと下がった。楽だ。

 一昨日までかき氷を食べていたが、今夜はコンビニで袋ラーメンを買ってきて食べてる。週の中頃からまた暑くなるらしいが、まあ、これからは秋に向かって行く。しのぎやすい季節だ。

 

 何かの海外ドラマで、話す事もない相手に向かって 「お天気の話でもしましょう」 と明るく言葉をかける場面があった。

 色々と見習うべきだと思うほどの余裕があるのは、涼しいからだろう。

 

2016年

8月

15日

都知事、面白かったね

 小池百合子さんが都知事になった。泡沫を抜かして、あの2択の中では小池さんが妥当だと思う。私の好きな石原慎太郎元都知事は「化粧の濃い」「嘘つき」だという評価をしたが、それは女性政治家だと言っているにすぎない。あの時、後ろを振り返れば、そこにいた爺さんたち、みんな嘘つきだと気がついたはずだ(まあ、わかってて倅可愛さに出てきたんだと思うけど)。
 つまり、嘘つきかどうかが問題なのではなくて、タチが悪いかどうかが問題になる。で、選挙結果からすると、自民党都連は都民から疑惑の目を向けられたという事になる。

 石原伸晃がいくら顔を真ん中に集めてネズミのような人相になり、小者さ全開でいきり立っても無意味だ。そこにリソースを割り当てても無駄なので、安倍政権はさっさと小池百合子と仲良くする道を選んだ。あたりまえだ。

 ネズミ男石原伸晃は、処分=報復をもって統制を取ろうとしたが、そういうやり方は共産党のものであって、自民党はそういう党ではない。様々な利害と思惑、諸々の機微が混然となっているのが自民党なのであって、もし一枚岩になったらこれは危機なのだと心得ておいていい。

 この自民党モデルは日本社会をよく近似していて、摩擦を最小限に押さえて利害を調整するのに適している。ただ、政治家の多くは頭が悪く、権限と権力を取り違えてのぼせ上がったり、欲に負けたりして、近似を真と思い込み、利権べったりになる傾向があるので、時たま剥がしてやらなければならない。都連も丸ごとタチが悪いのでもないだろうから、お迎えの近いあたりにご退場願うので決着がつくと思うが、小池さん、戦い方をわかっていそうだから、しばらく鉾を収める事はないだろう。

 完敗した伸晃ネズミだけれど、これが小池さんに勝てる見込みはないかもしれない。小池さんの方が戦が上手いし、段違いにしたたかだ。いや、ネズミは戦い方をまったく知らないと言っていい。ネズミ、親父さんは負けても前に行ける戦い方が出来ていた。親切心で言うが、お前さんにその芸当は出来ない。親父さんは男だったが、お前は男じゃない。人の後ろに隠れていろ。小池さんのスカートの影でもいい。そして、二度と戦うな。

 

 鳥越俊太郎は都民の選択肢にほとんど入ってなかったと思うけど、自分はよほどの著名人だと思い込んでいたのかもしれない。青島や美濃部を覚えている人は、その酷さを思い出し、あのたぐいの人間を三度知事に据えたくないと思ったに違いない。それに、我が耳を疑うほど馬鹿だったし、非常識だったし、無知だったし、選挙=つまり民主主義を馬鹿にしてたしと、いいところがなかった。ゲス都知事候補かもしれないというのは、それほど影響がなかったと思う。

 ジャーナリストでございが唯一の売りだったけど、テレビの報道系番組に出てたというだけの話だった。著書で言うと「桶川女子大生殺人事件」以外は、ほとんどオレ本ばかり、ああ、それにニュース解説本もあるねという程度、その場その場でから騒ぎの右往左往をしてみせてくれる「ジャーナリスト」たちの一人で、そこそこうまく立ちまわったというだけにすぎない。ジャーナリストらしく不勉強だったしね。

 ま、本人は日共系文化人として余生を送るつもりでいるんだろうから、勉強なんてしない方がいいね。日共がどれだけ面倒見がいいかは知らないけど・・・

 

 でも、「落選! 地獄の夏 警鐘、日本国民はボケている!」とかいうタイトルで、誰か、非論理的で露悪的な鳥越擁護ジャーナリズムでもやったら少しは商売になるかもしれないよ。少しは。(都知事選挙は都民が投票するだけだから、日本全国に話を広げるのは無理なんだけど、そこはジャーナリスティックにザックリ無視)

 

 本当は二択の一人だったけど、名前を覚えている人がいない増田寛也さん、経歴はご立派だったけれど、でも、それ誰? という事で、すでに疑惑の目で見られていた都連が担いだのは楽なミコシだからだろうとしか思われなかった。要するに、こんな布陣をして、偉そうにしていても、都連の爺さんたち、都知事選なんかこれっぽっちもわかってないのを露呈した。

 

 色々と大きく変わって行く感じのある中の都知事選だったけれど、否応のない変化が見えて面白かった。

 

 

2016年

8月

15日

少し暑さがおさまって・・・

 あまりに暑い時期、毎年何もやる気にならず、冷房の前で溶けている。

 若い頃は冷房がなくても平気で、せいぜい一週間ほど寝苦しい時があった程度だったのが、今は部屋を冷やしていないと眠れない。睡眠は体温を下げるものなのだが、部屋が暑いと体温が下げられない。場合によっては熱中症になってしまう。あれは、気がついた時には体を動かせなくなっていて、ああ、ダメだと考えながら意識を失って行く。そうなった時、昼間だったので何とか意識を奮い立たせ、体を動かして事なきを得たのだけれど、すっかり自信を失い。注意を怠ってはいけないと思うようになった。若い時は乱暴でも体力でその場しのぎが出来たのだろう。歳をとって同じ事をしていたら、何も学ばない馬鹿だと発覚してしまう。そこは隠蔽しておかねば面目が立たない。

 そういう次第で、冷房の前で猫まみれになりながら溶けているのだが、髪の毛にブラシを入れたら、猫の毛が大量に混じっていた。

 これは・・・

 

 

 

2016年

8月

09日

ストリートの危険な・・・

ストリートの危険な香りをと思ってバタフライナイフの練習のために、刃の代わりに櫛がついているオモチャを手に入れた。

バタフライナイフは、片手で開き、パタパタとやって刃が出た状態にするのがカッコいいのだが、ちっともそういう風に出来ない。元に戻ってしまうのだ。

 まあ、ここでも不器用極まりない事が出ただけなのだが、今回、それでは終わらなかった。

 猫が興味を持ったのでちょっととかしてやったら気に入ってしまったらしく、練習をしようとするととかしてもらえるものと誤解してやって来るようになった。

 しかたないので毛づくろいをする。そうして、猫はバタフライ櫛を持つと毛づくろいだと決めてしまった。

 結局、バタフライ櫛は、ただの猫の毛づくろいに使うだけのものとなった。もちろん、練習どころではないので片手でパタパタ開けるようにはなっていない。

 

「GON」の編集部にいた島田うどんがうまく格好良くバタフライナイフを扱っていた。あの頃は、事件前だったのでまだそこらで売っていた。

 

 中学生がバタフライナイフで先生を負傷させた事件の取材も思い出した。警察署長がいい人で丁寧に話を聞かせてくれた。青少年の事件などない地域で、林でタバコを吸うぐらいが非行の関の山だったのに、あの事件が突発した。バラフライナイフを売っている店は一件ぐらいで、その店でナイフを買ったのは、事件後、取材に来たマスコミがほとんどだったと教えてくれた。

 そんなに凶悪でも何でもない事件だったけど、それでバタフライナイフの販売は禁止になった。

 

 島田うどん、良い奴だったな。何してんだろ? 田舎に帰っちゃった後は連絡先も知らない。時々思い出すし、会いたいな。

 

 

 

2016年

7月

09日

頼むね

 カニエ・ウェストって蟹江敬三の親戚なんだぜ。

 

エーッ、ホント?

 

 

 

 

2015年

5月

24日

ロックンロールと流浪

 大好きなドリフト・アウェイという曲をカントリーの大御所ワイロン・ジェニングスとウェイモア・ブルースバンドが演奏している。

 演奏風景はブルース・ブラザーズなら突っ込みどころ満載という感じもするし、野暮ったさはかなりのものだけれど、そんな小さな事はいい。

 この曲は

「ビートをきかせて、俺を解放してくれ。ロックンロールと放浪の中で死にたいんだ」

 という歌なのだけれど(本当はロックンロールと放浪に浸りたいんだてな感じですが、ワイロンにはもっと込めているものがあるように見えてしまいます)、その通りに、ワイロンはこのライブが最後となり、今はもう帰らぬ人となった。

 カントリー歌手として生涯を旅に暮らした人が、この歌を最後に歌って死んで行った。そういう歌と人があるというのを、遠くから見る以外にないのだが、自分もそんな風でありたいという願望はやはり拭えない。


2013年

12月

15日

安楽椅子と宇宙

 今、グライアン・グリーンの『隠れていた宇宙』を読んでます。グリーンの本は3冊目かな。友人に物理が面白いよと教えてもらったのがきっかけで読み始めました。今までで一番いいかもしれないと感じながら読んでます。

 長年の夢だった(そのわりには選定はいいかげんでした。やはりツメが甘いのが欠点ですね。いや、ワキも甘いし・・・うーん)安楽椅子を買い、オスカー・ピーターソンを流したりしながら読み始めるのですが、眠ってしまいます。

 ちょっと気を入れて英語の本を読む時にはパスカル・ロジェのドビュッシーを流しながらやるのですが、そういう風に脳のネットワークに重みをつけてしまったため、楽に読む時には別の音楽にしようと思ったのがきっかけで色々と聞き直しているのですが、大抵、寝ます。

 でも、グリーンは眠らないで読めます。かなりわかりやすいのではないかと思います。

 

2013年

6月

14日

攘夷の展望、あるいは人斬りの遺産


 幕末に活躍した人斬り彦斎こと、肥後熊本の河上彦斎は佐久間象山を斬った男だが、維新後もかつての同志に攘夷を迫り続けたため、新政府に対する陰謀の罪を着せられて斬刑に処されたという。

 攘夷は維新の中心思想であったが、薩長の権力奪取後は焦点を失ってしまう。人斬り半次郎こと、薩摩の中村半次郎は、桐野利秋と改名し、陸軍少将となってしまうと、西洋かぶれをし、チョビヒゲをはやし、西郷隆盛にみっともないからよせとたしなめられる始末だった。

 幕末を席巻した攘夷論は、維新後、攘夷のためには国力を蓄える事が先決だとする大攘夷論と、大攘夷論が興ったために「小攘夷」とされてしまう従来の攘夷論に分岐する。

 そもそも幕末において、尊皇攘夷派でない政治勢力はなかった。そのため、維新などといっても、所詮は薩長の権力奪取でしかないという見方も出来てしまう。しかし、河上彦斎に見るように、攘夷論は薩長権力の樹立という局面を超え、維新後も続いていた。言葉を変えて言えば、維新は攘夷において未完だった。そのため、攘夷は、維新によって始まった近代日本の基調、あるいは無意識となる。

 大東亜共栄圏を掲げ、欧米列強と戦った先の大戦は、一面において、スターリンの謀略、ルーズベルトの思惑、日本自身の領土的野心などが絡まり合い、日本を開戦に追いつめたのだが、一方の機微として東アジアに拡大された攘夷でもあった。 戦前、官僚から軍部皇道派、民間右翼、そして、おそらく民権運動にいたるまで、すでに終わったものとして維新を見てはいなかった。自らが完成させる事として維新を受け止めていた。この意識の根本にあったのが攘夷だと見ていいだろう。

 攘夷というと、夜郎自大な排外姿勢と思われているかもしれない。しかし、再び明治に目を転じ、李王朝への外交を見ると、少なくとも初期において明治政府は礼節を持ち、平和的で妥当な態度で関係を結ぼうとしている。結果として征韓論になってしまったのは残念だが、平和的な関係を求める日本に対して、取り付く島もないかたくなな態度を撮り続けたのは李朝だった。ただ、ここではその事の歴史的評価ではなく、この問題を攘夷の質を推測する材料と出来ればいい。攘夷は国家としての日本の独立自立と、他国との平等な関係を、それが平等であるからには平和的に築きあげようとするだけの質を持っていた。

 攘夷の夷とは動物の事であり、他の民族を動物に近い野蛮なものとして蔑む意味を持つ言葉だ。しかし、日本の攘夷論には、意味の転倒が繰り込まれている。つまり、野蛮な人倫にもとる行為をする者、何事も無理やりに力で押し通そうとする者を夷とする。だから日本人が外国で自ら夷となるのを戒めるだけの可能性を持っていた。

 大東亜戦争に負けた結果、日本は、アメリカを筆頭とする連合国側に、戦前の日本がすべて悪だという意識を擦り込まれた。占領する側の政策としては当然の事なのだろうが、その結果、日本は自らを卑下し、否定し、自虐的になってしまう傾向を持ってしまった。反省と自虐が違うものであるのは当然の話だが、自虐的でなければ反省した事にならないという風潮まで出来てしまった。

 戦前に悪いところがなかったはずはないが、どこからどこまで、丸ごとダメだったはずもない。そんなあたりまえの事にすら思い至らない人も少なからずいる。

 この奇妙な状態を戦後とすれば、何十年続こうとも、戦後という現象は終わる。そして、日本は維新の完成という、近代日本の根本的な主題に向きあわねばならなくなる。その時、攘夷は始末し、昇華しなければならないものとして現れるだろう。

 

2012年

11月

11日

現在の支那はファシズムに進化した支那である

 ファシズムの定義は多く存在し、統一的な一致はないらしいが、ウィキペディアにマルクス主義における定義として以下のものがあった。

「ファシズムは、多くの反動の中でも、解き放たれた暴力的な独裁であり、最もショービニズム(熱狂的な愛国主義)であり、資本主義の最も帝国主義的な要素である。」

 現在、この定義が最もよく当てはまるのは支那だろう。

 支那の一国二制度というのは、共産党中央委員でありつつ富豪という意味だが、この共産党富豪たちが法を超えて横暴の限りをつくしているのが今の支那の姿である。

 支那は世界第二位の経済規模を持つ国家となったが、その富は共産党富豪たちが独占している。下々は貧しいままだから、その格差たるや筆舌に尽くしがたいものがある。支那は日本のように平等な社会ではなく、差別と格差がひどい、殺伐とした社会である。

 でも、毛沢東の時代よりはるかに良くなったのである。だから世界が付き合うようになった。つまり共産主義の支那よりも、ファシズムの支那の方がいいという事だろうか。どちらにしても支那はこのままでどうにかなって行く以外にない。ともかく共産主義はそういう、最低の下のそのまた最低のものだ。

 支那のバブルが終わり、場合によっては内戦となる時が遠からず訪れるだろう。他人事で良かったと思う。

 

2012年

11月

11日

CFRがWSJ記事をフォロー

 2011年11月15日に重慶市のホテルで毒殺された英国人ニール・ヘイウッドは英国情報部MI6の諜報員だったとウォールストリート・ジャーナルが報じた記事を米国際問題評議会のデイリー・ニューズ・ブリーフが取り上げた。

 ヘイウッドは、戦略的投資アドバイザーや年金運用のコンサルティング、英自動車会社アストン・マーチンの販売総代理企業顧問でもあった他、イギリス情報局秘密情報部(MI6)の元幹部が創立した諜報戦略情報会社、ハクルート(Hakluyt)に非常勤として勤めていた。大連出身の妻と結婚し、2人の双子の娘がいた。その妻との繋がりでヘイウッドは薄煕来一家に接近した。薄煕来は中国共産党中央政治局員であり、重慶市トップの地位にいた。薄煕来の妻が谷開来で、これがヘイウッドを毒殺したのである。

 谷開来は法輪功学習者の臓器売買の首謀者だったと噂される女である。これは法輪功容疑者の臓器、死体を売るビジネスだが、実際に法輪功かどうかは問題にならなかったようだ。

 この臓器・死体商売から莫大な利益が上がったが、ヘイウッドはこの資金の洗浄をやっていたとも言われる。

 薄熙来のレベルで、一家がこうした事を行なっていたというのだから、他の政治局員、さらにもっと上の地位にいる者たちとその家族がどんな事をやっているかわかったものではないが、英国あたりは知らん顔をしてその内情を熟知しているのかもしれない。

 北朝鮮の状況について、ここという所で英国から情報がもたらされるなど、かつて世界を支配していた英国は、アジアに情報網を構築している可能性がある。「情報と調査」誌(http://www.zeroinjyoho.com/)に支那の対露諜報活動のレポートがあるが、さすが孫子の国というべきか支那は諜報大国で、ゴーストネットなどサイバー部隊には米軍も神経を尖らせている。

 英国はこの支那と諜報戦の暗闘を行なっているのかもしれないが、アメリカというか、ウォールストリート・ジャーナルというユダヤ系のメディアに英国情報部の活動が取り上げられ、国際問題評議会がそれをフォローした事に、さてどんな意味があるのか、ないのか・・・

 

2012年

11月

01日

チョコバーとロックンロール

 宣伝につられて久しぶりにチョコバーを食べた。そう、内田裕也さんが出演しているチョコバーの宣伝に刺激されたのだ。ユーヤさんがやってる事につきあってしまうのは若い時の習性の延長かもしれない。

 あの宣伝、ブラバンが稽古してる時に腹が減るとユーヤさんになっちゃう奴がいて困る。そこでチョコバーを食わせるとユーヤさんが治るという設定に思える。

 それじゃあ、樹木希林さんがユーヤさんにチョコバー食わせると、ユーヤさんのユーヤさんが治るかもしれない。

 

2012年

1月

01日

あけましておめでとうございます

謹賀新年

 今年も昨年に引き続き大きな変化の年となりそうです。

 苦難の時を送るにしても、幸せである事ができるにしても、精一杯誠実に生き抜こうと思っております。

 本年もよろしくお願いいたします。

 

 くもわざ/目森一喜

2011年

12月

18日

追悼 山本集

 画家の山本集が亡くなられたという。

 一度取材させてもらい、その後、関西突破塾でご一緒させていただき、パーティーに出席した。

 山本集は己の憤怒を鋭く抱えつつ死んで行ったと思う。そして、あの絵に現された郷愁と哀しみを、同時に抱えていたと思う。

 哀しみも怒りもなく、穏やかに生き、死ねれば、それが幸福だと思う。だが、それは追い求める甲斐もないほど不可能である。ならば腰を据えて怒りと哀しみに生き、死ぬ事も疑いなく正当な生であり死だ。

 社会化される怒りや哀しみなど偽物だ。山本集は、固有の怒りと哀しみの人であった。

 

2011年

12月

01日

くもわざ書店電子書籍販売開始

電子書籍のダウンロード販売を開始します。

 第一弾は魚服記殺人事件 と 血の翳り - Eclipse of the blood です。

 魚服記殺人事件 魚服記殺人事件
 太宰治の冒険。
 目森一喜著。
 価格500円。

血の翳り - Eclipse of the blood 血の翳り - Eclipse of the blood
 目森一喜著。
 価格500円。

 こぞってお買い求め下さい。

2011年

11月

30日

How to make epub 電子書籍の作り方 3

 epubの約束事として、META-INFというフォルダが必要です。
 ここに container.xml というファイルを置きます。

 中身は

<?xml version="1.0"?>
<container version="1.0" xmlns="urn:oasis:names:tc:opendocument:xmlns:container">
  <rootfiles>
    <rootfile full-path="OEBPS/content.opf" media-type="application/oebps-package+xml"/>
  </rootfiles>
</container>

 というものです。
 META-INFには、この container.xml だけを置きます。
 次に、OEBPSというフォルダがあります。ここに中身を収納します。
 そして、META-INF、OEBPSというふたつのフォルダと並んで、mimetype というファイルを置きます。
 このmimetype の中身は、

application/epub+zip

 というものです。

 container.xmlもmimetypeも中身はこのままで変更してはいけません。

次に、フォルダ OEBPS の中に、
 content.opf
 toc.ncx
 というファイルが必要です。
 toc.ncx は、epub3.0 からは nav.xhtml に変わるようですが、現在のところ、toc.ncx ファイルは必要です。
 この content.opf と toc.ncx に、書いて行く事で、epubのもくじが表現されて行きます。
 以上のフォルダ構成とファイルによって、epubの枠組みが作られます。後必要なのは中身です。
 content.opf
 toc.ncx
 については、中身との関係で説明します。次回乞うご期待です。

 

 

2011年

11月

28日

How to make epub 電子書籍の作り方 2

 epubにはいくつかの約束事があります。それに従って作れば、簡単に電子書籍が作れます。作る側は、ひとつ作れば、見る側が、ウインドウズ・パソコンだろうと、iphoneだろうと、ipadだろうと、androido機だろうと、読んでもらえるわけです。
 様々なプラットフォームで読む事が出来るように、epubは画面やウインドウの大きさによって文字詰めが変化するという特徴があります。これをリフローと言います。
 リフローを想定せずにページ・レイアウトのデザインをすると、意図した効果が得られなくなります。この点は忘れないようにしてください。
 この点、epubはホームページに似ていますね。実は、epubはホームページを作成するために作られたhtmlを元にしているのです。

イースト株式会社の「EPUB日本語文書作成チュートリアル」には、

 

技術的な側面に光を当てると,EPUBはウェブ標準をはじめとする様々な技術標準を参照しているといえます.EPUBのコンテンツはXHTMLで記述され ていますし,レイアウトはCSSを利用しています.このことから,EPUBを指して「パッケージ化されたウェブ」と表現することもあります.XHTMLや CSSなどウェブの制作スキルは,EPUBのコンテンツを制作する上でも重要です.EPUBが持つウェブとの高い親和性は,ウェブの世界で培われてきた 様々な技術やノウハウを利用することを可能にしています.

 

 とあります。
 HTMLとCSSの知識があると、epubを作る上で役に立ちます。特に、HTML5とCSS3を知っていると有利でしょう。
 でも、必ずしもそのすべてを知っている必要はないと思います。

 

2011年

11月

27日

How to make epub 電子書籍の作り方

 epub(イーパブ)はフリーの電子書籍形式です。誰でも自由に使用し、電子書籍を作れます。必要なものはフリーのツールと簡単な知識、そしてもちろん、中身となる原稿です。
 epubは、米国の電子書籍の標準化団体の1つ、国際電子出版フォーラム (International Digital Publishing Forum, IDPF) の作った規格で、そのオープン性と単純さから、対応する電子書籍のハードウェアやアプリケーションソフトウェアが多く、英語圏での電子書籍用ファイルの標準となっています。
 epubは、横書きにしか対応していませんでしたが、3.0で日本語対応の機能が加えられました。日本の有志による熱心で持続的な働きかけの賜物です。ここで特に記して感謝します。

 epub3.0策定の中心的な推進力のひとつ、イースト株式会社が、以下のURLで「EPUB日本語文書作成チュートリアル」を公開しています。
http://tutorial.epubcafe.jp/
 そこに、epubについて、

EPUBRはIDPF(International Digital Publishing Forum)が策定する電子出版物の配信並びに交換に使用されるオープンな標準フォーマットです.EPUBは、完全にフリーなフォーマットであり、利用に際してIDPFやその他の団体、特定の企業・個人に対してライセンス料金が発生することはありません。


 とあります。
 epub形式は、コンピュータはもちろん、各社のスマートフォンやタブレットPC、ソニーの電子ブックリーダーで読めます。アマゾンのキンドルも、対応を発表しています。
 epubはこれから急速に普及するだろうことが期待される電子ブック仕様なのです。

 

2011年

11月

24日

末路としての現在 ― 排除と嘘

『情報と調査』というPDF版情報誌の記事に、
「暴力団の資金源根絶を目的にした暴排条例が全都道府県で出そろった。
 このようなことで資金源根絶になるわけがないにもかかわらず、警察の利権確保と役人の点数稼ぎのようなバカバカしい条例であることは、長年取締りにかかわってきた現場の捜査官や、取材記者などはわかっているはずにもかかわらず、それを指摘しようとしないで、芸能人スキャンダルというエサをもらって狂奔するマスコミももはや自分で自分の首に縄をかけた状態である」
「裏社会のみを厳しく取締まり、表社会の不正を放置したことが、社会と犯罪の関係を必要以上にねじれさせ、本当の「悪」を見えなくさせている」
 という下りがあった。
 いい指摘だ。
 悪い事をするのは、何もやくざに限った話ではないというだけなのだが、条例で「暴力団」を排除すれば「悪」がなくなるなどと嘘をばらまいて、その嘘と現実との隙間で、警察が利権、役人が点数、マスコミは芸能人スキャンダルを稼ぐという薄汚い利害共同体を作る。
「暴力団排除条例」はどう見ても憲法違反だが、憲法には九条しかないと思い込んでいる風の護憲派も、「暴力団」を出されると憲法を踏みにじる方向に走る。これじゃ護憲派、九条ボケとしか言いようがない。
 嘘に覆われて、本当の、あるいは表社会の悪がはびこって行く。この救われなさは、まぎれもなく日本の現在の一面である。

(『情報と調査』については、 ゼロイン をご覧ください)

2011年

11月

02日

韓国カトリックがテロリストを聖人選定の動き

 韓国カトリック教会が、伊藤博文を暗殺した安重根を「準聖人」に選定するための作業を始めたそうです。

 そりゃひどいでしょ。テロリストを聖人にするなんて、ビンラディンをイスラムが聖人にするのと同じです。

 政治と宗教を一緒くたにして、偏った歴史観で突っ走るなんて・・・おやおや・・・

 でも、あまり気にするのはやめましょう。

 

韓国カトリック教会 安重根を「準聖人」に選定

【ソウル聯合ニュース】韓国カトリック教会のソウル大教区が伊藤博文を暗殺した独立運動家、安重根(アン・ジュングン)を聖人の前段階に位置付けられる福者に列するための作業に着手したことが31日、分かった。

 安重根は1895年に洗礼を受け、出身地の黄海道(現北朝鮮)で宣教活動を行った熱心なカトリック教徒だった。伊藤博文を暗殺した行為がカトリックが禁じている「殺人行為」に当たるとして、長年にわたりカトリック教徒としてに認められなかったが、1993年に復権を認められた。

 故金寿煥(キム・スファン)枢機卿は安重根の復権について、「日本帝国主義の武力侵奪に対抗し、独立戦争を遂行する過程で起こした行為だった。正当防衛であり、義挙とみなすのが妥当」と再評価した。

 

2011年

9月

10日

ダメ人間と馬鹿の宝庫、民主党

 「死のまち」発言の経済産業相鉢呂吉雄が記者団に「放射能をつけちゃうぞ」と言っていた。

 

鉢呂氏「放射能つけちゃうぞ」 「死のまち」発言は陳謝
2011年9月10日1時30分 asahi.com

 

 大臣になった嬉しさのあまりおちゃらけちゃったんだろう。面白くも何ともない。

 まあ、民主党は愚劣な人間の集まりだから、もうしかたがないのだろう。だが、許す気持ちにはなれない。近代最大の歴史的災害時に、政権を担当していたのが民主党という不幸は恐ろしい。二度とこういう事の起きないようにしたいものだ。

「死のまち」って、みんな避難しているのだから人がいなくてあたりまえだ。鉢呂吉雄というのは心底馬鹿だ。それでも、党内ではまともな方なのかもしれないのが民主党の怖いところだ。

 

 民主党はもう治癒不可能だから、被害を最小限に抑止できる場所にもって行くべきだ。心情的には、鳥も通わぬ深山に自治体の台帳にも記載のない隠れ里でもつくらせ、朽ち果てるに任せたいが、行政はもちろん、議会からも退出させるしかない。

 

2011年

9月

02日

菅直人は原発維持だったんだけど・・・

 福島原発事故の発生時点で、オバマ米大統領は、冷却液の提供を申し出てくれていたのだが、菅直人首相はそれを断り、冷却液注入をしなかった。

 なぜかといえば、冷却液注入は廃炉前提だからだ。東電だけでなく、菅直人も原子炉を使い続けたかったから、廃炉前提の対処を決断できなかったのだ。

 

 しかし、そのみみっちい欲のため、事故の経過は今に至るも惨憺たる状態を続けている。菅直人は、そこで保身を図り、原発見直しに走った。責任逃れである。

 菅直人を筆頭に、民主党は保身と権力保持に血道をあげ、官僚は図々しく力を強めている。そうしなければ、責任逃れが出来ないからだ。

 国賊が音頭を取るオールジャパン=大政翼賛は倒錯としか言いようがない。もっとも、歴史はこうした倒錯劇であふれかえっているから、それほど悲観にくれるべきではない。私たち人類は、ある面において、常にそれほどおろかで混乱している。

 

2011年

8月

20日

民主党という迷惑

 菅直人は8月いっぱいで辞めるそうだが、少し疑いつつ、あの男、何だったんだろうと思っている。

 あの男もそうだったけど、民主党は、またぞろ「大連立」などと抜かしている。要するに批判されたくないからこっちに並んでくれと言っているわけで、みんなが同じ意見、同じ考えが望ましいと考えているのではないかと思えてくる。ようするに、全体主義なのだ。いくら柔らかな顔をとりつくろっても、それはソフト全体主義というだけの事だ。

 

 現在、深刻な状態にある日本で、意見の違いは、真剣な対立になって当然だし、批判は歯に衣着せぬものになってしかるべきだ。

 それが嫌なら議会など停止するか、政治など辞めてしまえばいいのだ。民主党は、自分たちばかりほんわかと(国民から見ればさもしく)やっていたいのだろうが、そうはいかない。議論すべきところは議論し、批判すべき点は批判し、その真剣さで困難を乗り切って行くべきだ。

 鳩山や菅直人といった変人というか、異常というか、非常識で、頭が悪く、不見識で、傲慢で、妙な、気味の悪い人間ばかり取り揃えた民主党は議会制民主主義を否定する事ばかりやってないで、少しは真面目に政治に取り組んだらどうだろうか。

今の姿を真剣だなどと言ったら、真剣という言葉の意味が変わってしまう。

 

 

 

2011年

8月

13日

安全って何だ?

  原発事故をふまえて安全という事を考えてみたい。

  まず、政治的には、原子力発電は完全に「危険」な問題となっている。

  臆病な政治家の一人が電力会社に危険を減らすためのヤラセを持ちかけ、かえって危険な状態に陥ってしまったのは、この事をよく示す事例と言えるだろう。

  その反対に、経済的には、原子力発電を停止させる事の方が完全に「危険」だ。日本経済は、電力供給削減という、大きな制限を課されてしまっている。

  では、政治的な側面以外に、原発を止める事で確保される安全が何かというと、被曝の危険だが、この危険の度合い、つまり、リスクがどれだけ確定されているかというと、かなりあやふやだ。

  政府が、原発事故の処理作業をなさっている方々に適用する基準を徐々に引き上げているが、その理由のひとつは、基準の根拠が確定していない事にある。つまり、人に危険な事をさせて保身を図る連中が目先の都合でいじれる幅が、実はかなりあると考えられるようなのだ。

 この幅は、ありもしないリスクまで含んでいるらしいので、今は脱原発というようになった反原発派の多くは、ありもしないリスクで人を脅かし、悔い改めないと天が降ってくると言いながら教条を広めている事になる。

 善良な人々が地震と津波で衝撃を受け、原発事故で心を痛め、不安になっている時に、その動揺を利用して自己利益を追求しているわけだ。たいしたもんだね。

 だが、このリスクが確定していないのは、環境派のせいではない。原発を作って来た人たちがきちんとリスクを確定し、リターンと比べ、リターンの方が大きいと説明し、人々を説得する手間を省いて来たからだ。「科学」だから絶対に「安全」だなどというお題目を考えついたのは、元をたどれば共産主義者だと思うが、それを拝借してここまで来たわけだ。

 絶対安全なんて、それこそ絶対に言えないというのが科学的な考え方だろうと思うが、それでは人を説得できないというわけなんだろう、「安全神話」が作り上げられて行った。

 日本人は国際的にものわかりのいい国民だ。それなのに説明責任を放棄するという態度は、官僚の水準の低さだ。彼らは国民を馬鹿にしているが、馬鹿なのは自分たちなのだ。

 まあ、その結果、一度事故が起きると、今度は「危険神話」が跋扈しはじめるのは、反動としては、なかば当然の事だろう。

 しかし、本当は、ここのところがしっかりと確定し、議論が煮詰められていなければならないところだと思う。結論は出ないかもしれないが、判断の根拠となりうるところまでは議論できるはずだ。手を抜かず、きちんと議論すべきなのだ。

 ツイッターにも書いたけれど、今、原子力発電所を止めても、元々、どれだけあったかわからない原発事故のリスクがなくなるだけで、北朝鮮の核兵器のリスク、支那の原発事故や核兵器のリスクはまったくなくなっていない。

 今、韓国は、核兵器を持とうとしているようだが、それは北朝鮮の核兵器に対する抑止力としてだろう。北朝鮮の存在によって、朝鮮半島、そして、日本も含めた極東はいまだに冷戦が続いている。

 また、先の高速鉄道事故を見ると、支那で原発事故があった場合、日本よりもはるかにオソマツな対処がなされる危険が高い。場合によっては、まるごと隠蔽されてしまい、何もなかったふりをされてしまう可能性がある。その場合、日本に放射性物質が降り注いだとしても、測定されずに終わるだろう。

 

 現状は、政治が経済を押しのけて、原発を停止させている。だが、これが反転し、経済が政治を押しのけて、原発を再稼働させる可能性もある。

 その時、現在と同じく、ロクな議論もないまま、見切り発車が行われてはならない。経済が逼迫したあげくの原発再稼働なら、おそらく安全など二の次にされてしまうだろう。

 思い込みばかり強い反核信者ではなく、まともな国民に対して、まともな議論を示し、はしょらず、丁寧に説明するなら、私たちが責任をもって原子力発電をやって行きますという側が強いに決まっている。彼らには、妙なヤラセやごまかしで、自ら身を卑しめる事なく、堂々とやってほしい。策を弄するのは、策の専門家の仕事であって、科学者や技術者の仕事ではない。

 

 手っ取り早い安全などどこにもない。原発のやめるというのは、穴に頭を突っ込んで何も見ないようにするだけの事で、現実逃避にすぎない。危険神話を信じるのは、安全神話を信じるのと等しい最も危険な態度だと思う。 

 

 

2011年

7月

23日

現実逃避としてのエネルギー転換

 サンデルの『白熱講義』は多くを死なせるか、より少数を死なせるか、ふたつにひとつしか選択肢がない場合の葛藤に身を置かせ、倫理に向きあわせる事から始まる。

 今、福島原発で事故に向き合い、対処している人たちは、死地に送られている。政府は、彼らの身体、生命をもって国家の安全を贖おうとしているのである。もちろん、これまでも現場で冷却作業にあたった人々も同じく死地に送られた人々である。

 私たちは、この危機の断崖絶壁を、彼らの身体生命を橋として、彼らの背中を踏み、彼らの上を歩く事で、渡らねばならない。彼らの捨て身の健闘によって助けられているし、助けられようとしているのである。

 私たちは彼らに感謝し、能う限りの支援を行い、少しでも報いるすべを模索すべきだろう。

 ともかく今は、福島の原子力発電所を沈静化させ、事故を終わらせる事に全力を投じる時だ。

 

 酪農家への通達はしたが、稲わらを出荷している農家への通達を忘れ、牛に放射性物質のついたエサを食べさせてしまうといったたるんだ失敗で仕事を増やし、対策の足を引っ張っている場合ではない。

 いや、その前に、エネルギー転換の話などして、時間と労力をムダにしている時ではない。将来の話にうつつを抜かしている場合ではないのだ。

 もしかしたら、現実を直視する気力、知力、思考力がなくて逃避しているのかもしれないが、ここを掘り下げてしまうと、カトリックの異端審問や共産主義国家秘密警察の思想監視と同じになってしまうのでやめておこう。

 心理的にはどうだかわからないが、今、エネルギー転換を議論するのは逃避でしかない。エネルギー転換の議論は、福島を落ち着かせた後にすべきだ。現時点 では、福島がエネルギーよりも優先順位が高いままだからだ。また、将来のためにはエネルギーという大戦略を、このドタバタの中で決定してはならない。

 今、エネルギー転換を言いつのる人々の中に、狂信的な環境論者がまぎれている。この狂信者たちは、深刻きわまりない原子力発電所事故にほくそ笑み、小躍りし、危機につけこもうとしている。

 エネルギー転換をし、原子力発電をやめるならやめるでいい。だが、いくら真剣な議論であっても、今、そのために限りあるリソースを割くべきではない。

 

 

 

2011年

7月

02日

ゼロ首相はなぜ居座れるのか

 ゼロ首相が政権に居座れるのは、それだけの力があるからだと考えられる。

 力には

  • 支持
  • 資金力

 の二つが、理由として考えられる。

 

 支持は「国民の支持」と「議員の支持」がある。

 国民の支持を背景にした政権党中で議員の支持を集めれば首相という事だが、議員の支持と国民の支持が分裂した場合、議員の支持があれば、その場は乗りきれる事になる。

 その時に資金力があれば議員の支持は集められる。

 菅直人はそのあたりをよくわかっている者の指南を受けて、やっている可能性がある。

 しばらく考えてみようと思う。

 

2011年

7月

01日

ゼロ首相とマイナス官僚

 ゼロ首相菅直人が、居残り佐平次も顔負けの図々しさでいなおり、居座っていられるのは、官僚が好き放題できるからだろう。

 彼らは原発などの問題からは逃げ、増税といった、やりやすく、自分たちの「手柄」となる事に邁進している。大したものだと、悪い意味で感心する。

2011年

7月

01日

犬の散歩

犬の散歩をさせている人がいた。 暑さに耐えかねてか、犬は道に座り込んでしまった。 おじさんはムリムリに引っ張って歩かせていた。 どっちもご苦労さま

2011年

7月

01日

ゴミの新たな分別

7月1日から、発砲スチロールのトレイを分別収集するから、ネットに入れろと指示があった。ゴミ収集場に別にして持っていったらネットの袋などなかった。 何やってんだろね。

2009年

11月

08日

カラシニコフの伝説 Spider on

11月2日(2009)のロシア紙「プラウダ」に


「カラシニコフ AK-47は過去の武器となる」

 

という記事があった。
 AK-47は設計者の名前からカラシニコフと呼ばれ、ソビエトが世界中に売りまくった事もあってその名を知られ、伝説的な突撃ライフルとなっている。まあ、このあたりの事は、よく知っている人が本に書いたり、サイトに書いたりしていると思う。
 記事には、


60年近くにわたって使用され、100以上の型がある。55カ国以上が採用して来た。7500万丁が世界中で製造され、そのうち40000万丁がロシア製

 

 とある。
 紛争地域には、必ずカラシニコフが大量に流通しているが、弾丸が供給されていない場合も多いらしい。
 ソ連の武器売買は、南米にはキューバ経由で、ヨーロッパとアフリカにはPLO経由での販売がなされていた。
 南米のゲリラは、麻薬カルテルの護衛を引き受け、カルテルがアメリカやヨーロッパにコカインを売った収益から活動資金を得ている。ペルーのセンデル・ルミノソのように自らコカイン・ビジネスのすべてに関わっている組織もある。
 南米の左翼ゲリラは、このコカイン資金でキューバから武器を買う。キューバは南米への武器卸問屋となって来たわけだ。もちろん、自らも麻薬ビジネスに手を出している他、キューバ軍を傭兵として各地に派遣している。
 カストロのキューバ軍派兵代金の取り立ては厳しいそうで、恨みを買っているという。

ヨーロッパでは、イタリアの赤い旅団、ドイツ赤軍などの左翼テロ集団の武器入手先はPLOだった。ソ連がPLOに武器を卸し、PLOがヨーロッパに販売した。
 PLOはアフリカにも武器を販売していた。今は中国製になったというが、カラシニコフである事に変わりはない。
 パキスタンの武器闇市場には、こういう武器があふれかえっていると言われ、タリバンなどはここで武器調達をしているのだと思う。
 アフガニスタンやパキスタンで、タリバンに武器を供給しているのは誰だろうか? あれだけ戦闘を続けていて、武器の消耗も激しいはずなのに、どうなっているのかと思う。
 ソ連がアフガニスタンに侵攻していた頃、ソ連軍と戦うアフガニスタン・ゲリラは、パキスタンを介して、アメリカから全面的な支援を受けていた。アメリカは中国から武器を買い、パキスタン経由でアフガン・ゲリラに武器を供給していた。このため、前線で戦うアフガン・ゲリラの多くが、アメリカに支援されているのを知らないでいた。
 アメリカが中国製のカラシニコフを、ソ連軍と戦うイスラム教徒に供給する・・・冷え冷えとした話だ。
 カラシニコフの伝説というのは、まあ、こういう内容のものばかりで、人が生きていく糧になるようなものはない。
 ロシアの新しい小銃は、来年お披露目になるようである。